10年目の3月11日に思う


今日2021年3月11日は、
東日本大震災から10年の日。

もう一度、あの日のことを
書いておきたくなりました。

自分自身を振り返ることで
記憶に留めておきたいのです。


この日、私は新橋で仕事をしていました。
坂本光司先生と、
中村ブレイスの中村俊郎さん
のセミナーがあり、
私は対談のファシリテーターでした。

そのときのblogはこちら


途中で大きな揺れがあり、
天井の一部がパカッと開きました。

セミナーは中止になった
と思っていましたが、
ブログによると、中断しながら無事に終了していました。

地方から来られたご参加者は、
主催者と一緒にこの会場で
夜を明かしたと後日聞きました。
(ホテルは早い者勝ちで埋まりました)

私は、参加してくれた友だちと
帰ることにしました。


新橋の街は、
人の波ができはじめていました。
けれど、静かでした。

一人も騒ぐ人はおらず、
軍隊の整列みたいに、
誰も乱れず粛々と歩いていました。


見上げると、
月が異様にきれいでした。
ちょっと、ぞっとしたくらいです。


月がくっきり見えていたということは
日没を過ぎていたわけで、
時間は18時くらいだったと思います。


当時、私の家は歩いて30分圏内だったので、
友だちを家に誘いましたが、
会社員のご主人となんとか連絡をつけ
5時間かけて歩いて帰ったそうです。


友だちと「気を付けてね」とわかれ、
途中、プランタン銀座の靴売り場へ。
ペタンコの歩きやすい靴を買いました。

ヒールのパンプスを履いていたので
すでに足が痛くて痛くて。
このまま歩き続けるのは辛いし、
危険だと思ったのです。
デパートが開いていて助かりました。

銀座の街も静かでした。

靴売り場の若い女性は、
テレビを観ていないから、
あの後、事実を知ってさぞ驚いたと思います。



家に帰ると、
マンション7階の部屋は問題もなく、
布の置物が一つ、
コロンと転がっていただけでした。


翌日は、前から決まっていた
沖縄の東大東島に飛びました。
飛行機はいくつも決行になりましたが、
知人が飛行機に乗れるよう、
手配してくれたのです。


~  ~  ~


ここでやはり、
書かなくてはいけないことがあります。

当時は書けなかったことです。


セミナー会場には
大きなテレビがあって、

最初「映画?」と思うような洪水と、
家が流されて行く映像が
目に飛び込んできました。

それは想像を超えたもので、
あの中に助けを求める人がいる、
という実感をすぐには持てませんでした。


私はセミナー会場にいる方々に、
マイクを持って言いました。

「みなさん、よかったですね。
 普通、セミナーというのは
 翌日には半分以上、忘れてしまうと
 言われているんです。

 でもこのような日にいらした方は、
 ずっと今日を忘れないでしょう。
 ですから得をしたと思っていただけたら…」


主催者は「よく言ってくれました」と
笑顔でしたが、

私は今でも、
自分の言ったこの言葉に罪悪感があり、
思い出すたびに胸が痛みます。

安くはないセミナーです。
参加者の心の負担が少しでも
軽くなるように、
と思って咄嗟に出たのですが、
言うべき言葉ではありませんでした。

まして、あの映像を見ておきながら、
私はどういう神経をしていたんだろう。


家に帰った後で、
流されて行く家の中に、
人がいたんだ…、
怖かっただろうな…
そんなことを思って、
いたたまれなくなりました。


震災のあの日を思うとき、
私は同時に、
自分の愚かさを思います。


毎年夏に訪ねている南三陸~塩釜への旅は、
そんな懺悔も隠れているのかもしれません。


今年も10回目の旅をします。


瀬戸川礼子でした。

IMG_1464.jpg


南三陸ホテル観洋の阿部憲子さんの
思いも紹介しています。