一色単なんて言葉はなかった ~ある記者の告白~
キーボードで打つと出てくるんですよ。



youtube【幸せに働き生きるヒント】22回目で
正しい使い方をすることになりました(*´艸`*)
働きがい・顧客満足・業績・評判が
いずれも高い「いい会社」の取材が中心です。
いい会社の取材は楽しく、話の幅も広がります。
取材の主題ではなく記事には入らないけれど、
忘れられない「心に残る話」も蓄積されます。
今日の目次
その一つに「未来は変えられない話」があります。
ある地方の会社を取材した折に聞いた話です。
その会社は多くの顧客に慕われて、
順調に経営をされていました。
けれど、昔は会社存続の危機があり、
経営者は必死で、かつ笑顔を忘れずに
飛び込み営業をした日々があったと回顧されました。
飛び込み営業を好む人はほとんどいないでしょう。
その経営者にとっても一番避けたい仕事でしたが、
会社がピンチのときにそうは言っていられません。
毎日、毎日、勇気を出して続けたそうです。
ドアを叩いたと同時に追い出された会社もあれば、
「こんにちは」と返事を返してくれる会社、
「話だけでも聞くよ」と時間を取ってくれる会社、
実際に仕事をくれた会社、
いろいろな人、いろいろな会社と出合った日々でした。
必死の日々を経て、経営は軌道に乗り始めます。
10年が過ぎたある日、
経営者は飛び込みしていた都市を歩き、
「そういえば」と、
不思議なことに気づきました。
それは、
自分に親切にしてくれた会社はすべて残っていて、
無下に追い払った会社は一社も残っていないということ。
「偶然かもしれませんが、そうなんですよ。
親切にしてくれた会社のことは忘れませんからね。
…邪見に扱われた会社もね(笑)」
親切とは、
人情のあついこと、
思いやりがあること。
配慮が行き届いていること。
飛び込み営業する人を冷酷に追い払うのではなく、
せめて、あいさつくらいは返す。
「大変ですね」と労いくらいあってもいい。
そういう会社のほうが、
人に寄り添う想像力があり、
日常の仕事の質も高い
と考えるのが自然だと思います。
経営者の飛び込み営業と10年後の話は、
世の中には見えない道筋があり、
どんな未来を描くかは、
今の自分が決めている、
ということを教えてくれました。
「未来は変えられる」と言われますが、
今の延長線上に未来はあるのだから、
「未来は変えられない」とも言えます。
これは怖い話ではなくて、
いい未来にしたいなら、
いい今にすればいいだけ。
人に親切に、自分にも親切に。
シンプルな方程式なのだと思います。
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の
瀬戸川礼子でした。
やっぱり大切なのは「人間力」ですね。
訪問介護には「調理支援」という
サービスがあるそうです。
介護が必要な方に対して、
自宅訪問時にご飯をつくってあげるサービスです。
で、私の友人もそれを頼んでいて、
彼女の家に来てくれる方は、
調理のバリエーションが豊富で
毎回、とても楽しみなんだそうです。
(多めにつくってくれるから
娘である彼女の分もある)
ちなみにこういうサービスを知る上でも、
よいケアマネージャーさんとの出会いが
すっごく大事なんだと聞きました。
それと利用者側の「一度やってみよう」という
柔軟性や好奇心も必要なんじゃないかな。
~ ~ ~
で、ここから本題。
友人の知り合いの話です。
その知り合いも「調理支援」を頼んでいますが、
調理をしてくれるヘルパーさんは、
「野菜炒め」しか作らないんだそうです。
そうなると、最初はよかったけど、
介護されている本人も家族も飽きちゃって、
もう誰も食べない(笑)。
冷蔵庫も冷凍庫も、
「野菜炒めまつり」
「野菜炒めキャンペーン」
「野菜炒めフェア」になってる(≧∀≦*)
はい。では、この話、
どこに問題があると考えますか?
・野菜炒めしか作らないヘルパーさん?
・ヘルパーさんを指導しない派遣主?
・作ってくれたものを食べない被介護者?
・調理支援を頼んだ家族?
「これが正解です」という
一つの回答はありませんが、
この話をしてくれた友達と私の見解は同じです。
依頼主である家族が、
「野菜炒めはもう飽きたので
他のものをつくってほしい」
と、ヘルパーさんに言うべき。
まあ、もちろん、
ヘルパーさんもヘルパーさんですよね。
冷蔵庫も冷凍庫も野菜炒めが占領して
食べていないことは一目瞭然なのに、
同じ料理を作り続けるって。
でも、ならばなおさら、
依頼主が「こうしてほしい」と希望を言わないと
ずーっと野菜炒めまつりが続くわけです。
誰がリーダーなのか?
それは依頼主です。
なので依頼主は、
この「まつり」を延々と続けるのではなく
収束させるために動いたほういいです。
性善説で考えたり、優しく接したり
するのは大切なことですが、
人に親切であるということと、
家族や自分が困っているのに我慢することは
イコールではありません。
「なぜ〇〇してくれないの」
という批判的な言い方ではなく、
「私はこうしてほしい」
と希望をちゃんと伝えたらいいのになあ。
物事は一方だけが悪いという事はなくて、
お互いがその現象を作り出しているので、
今回のようなケースでは、
改善する力を持った人、
つまりリーダーが動いたほうがいいですよね。
私は感情をすごーく大事に考えるタイプですが、
こういうときは感情を脇に置いて、
「飽きたから他の料理にしてくださいね」って
さらっと言っちゃうと思います。
さらっと言うときがリアルな肝試しです(笑)。
よりよい状況をつくるには
優しさだけじゃなく、勇気も必要。
同じような状況に応用できる
考え方じゃないかなと思って
書いてみました😊
野菜炒めが食べたくなったような…、
もう当分、食べたくないような…、
どっちか分からなくなっている
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の
瀬戸川礼子でした。
※ youtubeはこちらです。
「いい会社」のよきリーダーが大切にしている7つのこと - 瀬戸川 礼子
あなたが誰に投票したとしても、
ジョーが、オバマ大統領の副大統領として
そうであったように
忠実に、正直に、常に準備を欠かさず、
あなたとあなたの家族のことを考えながら
毎日目を覚ます副大統領であろうと務めます。
今こそが本当の仕事の始まりです。
きつい仕事、必要な仕事、良い仕事
欠かせない仕事が
命を救い、疫病を抑え込み
働く人々のために経済を立て直し
司法制度や社会の組織的な人種差別を根絶し
気候危機と戦い、国をまとめ
国の魂をいやすために。
youtube【幸せに働き生きるヒント】
アップしました。
17回目となる今回は、
25~26年前から思っている
「従業員やめませんか」について語りました。
2008年、2009年にもブログで書いています。
私は、「従う」という言葉を
人間に対して平気で使っていることに
長らく違和感を抱いてきました。
従うって、とんでもない意味だからです。
従:
従う人、付随的なこと、中心とはならないもの。
従う:
・自分より強大なもの、
不動・不変なものの権威や存在を認め、
自分の行動をそれに合わせる意。
・後について行く。随行する。
・さからわない。意のままになる。言いなりになる。
命ぜられた通りに行動する。降参する。屈服する。
こんな屈辱的な立場には
誰だってなりたくないはずです。
なのに、呼称の漢字には平気で用いる。
・・・おかしくないですか?
言葉は変わっていいものです。
動画の中では、
どもりが吃音に(私は隠れ吃音)、
助教授が准教授に、
スチュワーデスがキャビンアテンダント(客室乗務員)
に変更されたという例を挙げています。
なら、「従業員」は?
ほかにも変更となった言葉は
たくさんありますよね。
目が見えない、耳が聞こえない、話せないといった
身体的な障害はむかし、
かなりひどい差別言葉で表現されていました。
なら、「従業員」は?
後半、語っているのですが、
古来から言われている
「言霊」(ことだま)の力って
私はあると思っているんです。
言霊という不思議な表現を使わなくても、
現実的、建設的に考えて、
どんな言葉を言われるかって
影響が大きいですよね。
例えば、面倒な頼まれ事をしたときに、
「ありがとう」って言われたらうれしいけど、
「どーも」って言われたら?
言ったほうとしては同じ意味だとしても、
「そんな言い方ないでしょ」って
思う人が大多数じゃないでしょうか。
このように、
「言い方」「表現の仕方」って大事なんです。
また、
「できる、できる、あなたはできるよ」
と言われて育ったら、
自信を持てる子に育つ可能性が高いですが、
「ダメだ、ダメだ、なんでダメなんだ」
と言われて育ったら?
せっかくの可能性が潰されかねません。
そんなことからも、
「従って仕事をする人」という意味の
「従業員」と言われ続けたり
自分で言ったりしていたら、
「自分は従う人だ」という思い込みが
頭や心のどこかに
こびりつくんじゃないかと考えるのです。
中には、
「仕事に従いたいから従業員がいい」。
そんな方もいるので、
そういう方を否定する気はないし、
それぞれ好きな言葉を使えばいいと思います。
ただ、この動画をご覧くださって
自分も「従業員」は嫌だと思っていたとか、
言われてみれば同感だという方は、
・従業員という言葉を使わない
・もし従業員だと言われたら「違う」と打ち消す(心の中でok)
これをやっていきましょう。
「従う」ことに染まらないためです。
もちろん会社は大事ですし大切です。
感謝を持って働くことは素晴らしいです。
でも、従うのではありません。
どんなに大きくて有名な会社に勤めても、
小さな無名な会社に勤めても、
私のようにフリーランスでも、
安泰はどこにもありません。
でも少なくとも
「私は従っているのではない」
「私の道は私が決める」と、
そう思っていれば、
安泰はなくても気概は得られます。
気概があればどんな状況でも生きていけます。
私もそうだし、すべての人が
幸せに働き生きられたら最高です。
そのためにも主体性は大切で、
従うことから主体性は育まれません。
従業員やめませんか?
このゲームが「箱の中身はなんだろな?」。
こっち側で見ているほうは、
中身が分かるので笑っていられます。
濡れた雑巾とか、
とげとげの草とか、
「なーんだ」ってものだからです。
ところが、手を突っ込む側は、
箱の中身が見えないので
びくびくするんですよね。
私はやったことはありませんが、
考えただけで怖すぎます
で、ちょっと話が変わりますが、
以前、メールでこんなことがありました。
あるご依頼で、会社Aを訪問することになりました。
ところが、私が「伺います」と連絡してから
1週間以上、返事がないのです。
さすがにどうしたかな?と思ってメールすると、
窓口の方から返事が届き、
待たせて申し訳ないということと、
スケジュール担当者が◎日まで休んでいるため、
◎日以降に連絡しますと書かれていました。
休暇はあらかじめ決まっていたようでした。
ここまで読んでくださった方は、
すでに改善点にお気づきですよね。
私が「伺います」とメールした後に、
「返事はこういうわけで◎日以降になります」
と、教えてくれればよかったなと。
そうすれば、私は不安を感じることなく、
メールで催促する時間も必要なく、
相手は自分たちの良いイメージを保てるし、
催促されて謝らずに済むんですよね。
これって、あのゲーム
「箱の中身はなんだろな?」みたいなもので、
分かっている側は不安も不信も感じませんが、
分からない側は不安や不信を感じてしまうんです。
前述したように、
箱の中身があらかじめ分かっていれば、
濡れた雑巾とか、とげとげの草だったり、
「なーんだ」ってものしか入っていないのに、
中身が見えないと、
ものすごく気持ち悪い生き物なんじゃないか?
噛みつかれるんじゃないか? とか思うわけです。
要するに、
「情報が不透明だと、
情報を持たない側の不信を生む」。
きっと、どなたにも大小、経験ありますよね?
「箱の中身はなんだろな?」というゲームなら
好きな人が楽しめばいいと思うのですが、
実生活や仕事上では、
物事の背景や理由を伝えないやり方というのは、
何も楽しくなく、何も役立ちません。
無駄な不安、
無駄な不信、
無駄な誤解、
無駄な怒り、
無駄な時間、
こういう無駄はないほうがいいですよね。
疑問が解消されたとしても、
前もって相手を不安にさせないようにする
配慮がなかった、という事実は残るので、
相手に対する信頼がちょっと欠けちゃいます。
誰にとってもメリットがありません。
そう書いている私も完璧ではなく、
言い忘れた!ってことがあるので気をつけないと。
無駄な無駄を生まないためにも、
仕事を含めた生活では、
箱の中身をはじめから見せたほうがよくて、
最初から透明な箱にしておきたいですよね!
経営ジャーナリスト・中小企業診断士の瀬戸川礼子でした。
youtubeはこちらです。
※ 今日の話は263~264ページに書いてあります。