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zoom RSS 日野原先生のお話 〜トイスラー先生と聖路加国際病院〜

<<   作成日時 : 2013/11/03 10:53   >>

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きのうは、聖路加国際病院の日野原重明先生のお話を拝聴しました。

慶応義塾長の清家篤さんも登壇されました。


「外国人居留地研究会 全国大会in東京」の席だったので、

日野原先生は、「生き方」の話ではなく、

わが街・東京都中央区と聖路加国際病院の歴史の話をされました。
http://genki365.net/gnkc07/pub/sheet.php?id=4840


写真は会場の聖路加看護大学です。
画像


















お話の本論もさることながら、とにかく、先生の姿に感服しました。

日野原先生は現在、御年102歳でいらっしゃいます。

檀上までの数段を自分で上がり、

檀上では演台の外に出て、1時間ずっと立って話されました。


最初、マイクの電源が入っていなかったのですが、

300人収容のホールの隅々まで聞こえる地声でした。


パワーポイントのスライドを変えるときは、

操作する人に「はいっ、次!」と、“先生”っぽく言うので、

私たち会場はおかしくて笑いました。

お話は論理的かつ人間味あふれ、とても面白かったです。


人のために生きる人はすごいな…。

その姿を、しっかり目に焼き付けました。



1873(明治6)年に、キリシタン禁制が撤廃された後、

函館、横浜、神戸、長崎など、全国に外国人居留地がうまれ、

東京の築地もその一つになりました。


聖路加国際病院は1902年、

アメリカからやってきた医師で宣教師のトイスラー先生が創立しました。

その前は、佃島に小屋のような診療所があるだけでした。


聖路加国際病院は、1923年には関東大震災で全壊してしまいます。

しかし、仮病院を経て、2年後には新病院に建て替え、

公衆衛生や医師のインターンなど、国に先駆けて取り組みを始めました。


第二次世界大戦後は12年間も米軍に占領されますが、

戻った後は必要な建物を増やし、現在の形となりました。
http://www.luke.or.jp/

私の父も一か月間、入院でお世話になったことがあります。



トイスラー先生が書いた同病院の存在意義が記されています。

「キリストの(略)偉大な愛の力を、

誰もがすぐ分かるように計画されてできた、

生きた有機体がこの病院である」




日野原先生の姿と、トイスラー先生の「生きた有機体」という表現に

しびれて帰ってきました。


ジャーナリストの瀬戸川礼子でした。

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして、
聖路加病院
サリン事件は大変だったかと記憶してます。
キリスト教徒も江戸幕府で辛い時代が在りましたが、宗教的に日本は犠牲者を出して、はじめて宗教が設立出来た時代が在りますから、日本政府も被害に遭った聖路加病院も大変だったでしょうね…
戦前に埼玉県熊谷市日本陸軍731部隊の化学薬品兵器工場が在りました、地黒露と銘を持つサリン殺人ガス同類ですが危険過ぎて、戦略に使えずに、地下埋めた薬品兵器の鉱山後地の近郊に住んでます、現代まで自衛隊管理が必要な危険な大量な埋蔵量での化学薬品兵器ガス、二度とサリン事件の無い事を祈り、コメントします、 日本の医療が危険な化学薬品兵器被害に対応出来る事を願って、
敷島科学
2014/06/29 00:40

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